表紙

     

resources

rss1  rss2  atom03

第2講関連「金子大榮師挨拶」-5 (9/27)

仏教には変易生死と分段生死という言葉がありますが、あの二種の生死という言葉はどうも解りませんかったのですが、今度先生の開会のご挨拶をするということについてふと思いついたのであります。平凡な人間はなるほど分段生死で、あの人は生まれた、そうしていろいろなことをやって死んだ、というよりほかに一生涯はないのである。変易生死はその思想の展開するごとに、その体験の展開するたびごとに、この肉の命は終わらなくてもその人の本当の意味の生というものが何遍も変わって行くということでないであろうか。で、その多くの変易生死のうちにおいて六十年というものが一期をなして、六十年がその前期であり、六十年以後がその後期であるということは、古今東西の思想的な生活をせられた、精神的の生活をせられた人の跡を見ても、大抵そういう風になっているようであります。そうしてその前六十年が六十年以後の生活の準備をなし、そうして六十年以前のものがさらに洗練され純化せられて現れて、殊に間違いのないものが六十年以後に現れているようであります。

先生は非常に健康でおいでになりまするし、元気はますます旺盛でおいでになりまするからして、いわゆるこれからお入りになります第二生の誕生に当たって、ここに先生の獅子吼を願って、われわれはみな前生、すなわち前六十年の宿世の善友として、さらに第二生の御説法を聴こうという心持ちでこの会を開いたのであります。

で、時代はいろいろの意味において、本当に導くところの人を要求しているのであります。われわれはみんな戸惑いをしており、どうしてよいか解らないのであります。この際、第二生に入ろうとせられまする先生をわずらわせまして、そうしてここでさらに勢至菩薩的な大獅子吼をしていただき、思うままにお考えを発表していただいて、そうしてわれわれ冥闇の道を開いていただきたいという考えから、この会を開いた次第なんであります。

(第2講関連 金子大榮師 挨拶)