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第2講関連「金子大榮師挨拶」-3 (9/25)

きょう私は記念会であるということによって、あえて先生の徳を数え上げようとは思いません。いたずらに美徳を並べるということは、並べる方では尊敬するつもりであっても、事実としてはかえって貶∧おと∨すことになるおそれがあるでありましょう。私は先生の人格は世の中の人々が様々に言うている、そのあらゆる見方がみな本当のものであるようなお方である、こう思うのであります。ここにおられる方(先生)は最も謙遜なお方であると同時に、最も自ら高い誇りをもっておられる方であります。最も情熱の強い人であって、同時に最も理性の鋭い人であります。先生の眼から見れば、あらゆる思想家はみな理知に捉えられているに過ぎないのであります。先生の情熱から見れば、多くの人の感情は要するところ感傷に過ぎないのであります。それだけ情熱が強く、それだけ理性も高く、一面から言えば超常識的であり、そうして極めて常識的である。またある意味におきましては極めて内観的であり、それでいて、また、世の中のことを、社会のことを本当に明らかに知っておられるということは、この人に接した大抵の人は皆知っておられることであると思うのであります。

かつて先生の書かれました文章の中に思い出した言葉があります。宗教的人格論というものを書かれまして、その中に、宗教的人格というものは「足は無間の底を踏まえて頭は非想非々想の上に出づる」という言葉があります。それは今日から考えてみると、おそらく先生の自画像であったのでしょう。だからして世の中の人は無間の釜を踏まえている足下だけを見て、先生は随分やんちゃな人だ、というようなことを言う人もありましょう。時には非想非々想の上に出ている方ばかり見て、どうも思想の深遠な人である、というようなことを言うでありましょう。けれども何にせよそういう巨人なんですから、われわれはそれを一括してこういう人であると言うことはできない。しかしながら決してそれは複雑ということでなくて、極めて単純な、極めて素朴な精神に統一されて、それだけの生活とそれだけの性格とをもって体験されたものが、われわれに与えられているのであります。

で、その今日まで歩いてこられました相を思いますというと、私はいつでも勢至を思うのであります。

(第2講関連 金子大榮師 挨拶)