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第2講関連「金子大榮師挨拶」-1 (9/23)

発起者の一人として後来会のみなさま方に挨拶のお言葉を申させていただきます。

この記念会を開きました趣意は、世間一般の常識であります還暦の祝賀ということに事寄せまして、私どもが長い間お世話になりました先生のご恩を改めてここで感謝致し、同時にこれから私どもの進み行く道について、さらに一層の教訓を仰ぎたいという考えからにほかならんのであります。

私どもがこの世に生を受けまして、よい時代に生まれ合わせたという言葉を使うことができるとしますれば、そういう時代は必ずしも四海波静かにして、春は花、秋は紅葉と享楽することのできる時節に生まれたということではありません。また教育が普及し交通機関が便利になりまして、いわゆる文化的の施設を思うがままに受け得るということでもありません。そういうことも私どもがよい世の中に生まれたということの中に数えることはできるのでありましょうけれども、しかしながらいずれ五濁雑乱の世であり、悩みの多いこの世界におきましては、そういうことだけで心の底から本当によい時代に生まれたということはできないのであります。

ただ私どもが本当に心の底からよい時代に生まれ合わすことができたということができるとしますれば、それは本当に自分を教えてくださるところの明師に出遇うたということ以外にないのであります。この喜びはおそらく人間が経験し得る限りの最上の喜びであります。そういうことは、もしそうでなかったならばということを思ってみればすぐ解ることであります。釈尊がお生まれになりました時に、阿私蛇仙人がその生まれられたばかりの悉達多太子を拝したてまつりて涙を流した。浄飯王がなぜに泣くのであるかと尋ねられました時に、このお児さんは大きくなられたら世を教ゆるところの法王になられるのである。しかし自分はその年まで生きていることはできない、せっかく人間の導師である方の出世に出遇いながら、その教えを聴かずして先立って死ななければならないということを考えますと、とても悲しいことである、と申し上げたということであります。おそらく人間が経験し得る悲しみの中でこれ以上の深刻な悲しみはないでありましょう。

(第2講関連 金子大榮師 挨拶)