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親鸞の仏教史観 第5講-14 (9/20)

ひるがえって行巻の結論、諸仏称名の願の最後の証明たる『正信偈』には、冒頭、

帰命無量寿如来  南無不可思議光

と。これすなわち伝統の歴史である。伝統の歴史の宗要であり、それの全体である。仏教歴史の体であるとともに、それがそのまま親鸞の安心の表明である。すなわち親鸞の安心の帰依体である。すなわち正信念仏ということは、正信し念仏するとも言い、あるいは念仏を正信するとも言う。だから、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」こう寿命と光明、この二つの名号を掲げました、そこに伝統の歴史の体を掲ぐるとともにそれがそのまま親鸞の己証の安心、安心の体をそのまま掲げたのである。こういう具合に、たった一行の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と、言葉に二つの意義をもたせているのであります。

そうして親鸞は、

法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、

と、ずっと述べまして、そうして、『大無量寿経』によって『大無量寿経』の大綱を掲げまして、それから『大無量寿経』流伝の歴史というものを七祖の伝統というものに求めまして、龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空、七人の祖師方の教えというものをずっと半分に述べて、一番最後に、

道俗時衆、共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべし、

「唯可信斯高僧説」、このように行巻を結んで、そうして直ちに第十八願によって真実信の巻というものを開顕しまして、そこにさらに信巻特別の序分というものを掲げてあります。これは親鸞が行巻に並べたところの伝統の歴史というものは、そのまま親鸞の救いの己証である。そういう意義を明らかにしまして、その七祖伝統の歴史に即して親鸞自身の己証を深く掘り下げ、そこに深重なる因位法蔵菩薩の願心を明らかにし、信楽開発の淵源を明らかにするものはすなわち信巻である。だから親鸞は信巻というものを開顕しますところの理由を明らかにするために、その信巻の初めにおいて別序というものを掲げているのであります。

それ以みれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す、真心を開闡することは、大聖矜哀の善巧より顕彰せり。しかるに末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷いて金剛の真信に昏し。

と、こういう具合に述べてあるのでありまして、この如来選択の願心、行巻において三経七祖の伝統というものを聴聞して、それにおいて如来選択の願心というものを明らかにした、その歴史的体験の意義というものは何であるか、かくして彼は如来選択の願心の内面を描き出そうと企てたのであります。そこにわれらの正信、それの正信たるゆえんの原理を決定せしめられるのである。

(親鸞の仏教史観 第5講より)