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親鸞の仏教史観 第5講-2 (9/8)

いわゆる正法五百年といわれる、まさしくその大半は部派仏教のいたずらな争いであるが、その争いの中にもそこに静かに仏教を求め、静かに仏道を体験しておられますところの隠れた人々、隠れた修道者、隠れた求道者、隠れた聖者、そういう人々はおそらくはその当時に黙々として、いわゆる何等ことあげをせずして、静かに仏道修行に精進しておられたのではなかったか。またそうでなければならないと思うのであります。もしそれがないならば、もう仏教の伝統というものはまったく終わりを告げているはずであります。

釈尊の入滅とともに真実の仏道の伝統というものはそこに消えてしまっている、仏道は死んでしまっている。仏道は死ぬということはないのだけれども、もし仏滅後の部派仏教の時代というものが単なる部派仏教時代であるならば、仏道の精神というものはそこに死んでいる、消えているというべきであります。一度死んだ仏道というものが再び生きるということは考えられない。そういうことはあるべからざること。綿々として仏道の歴史のうちに、つまり民衆の胸を貫いて、それの大地、それの足、それの行、それの生活というものをとおして、そこに仏道の精神というものは伝統していたに違いない。

それが部派仏教の堕落、部派仏教の争いというものを契機として、ついに龍樹とか馬鳴(めみょう)とか、そういう人々によってはじめて真実の大乗仏教運動というものが起こされようとした。この道の歴史というものを考えてみればだいたいそういうことになっているのであります。いたがって、例えば『華厳経』にしましても、『華厳経』のあのもろもろの偈文(げもん)というようなもの、偈文は詩でありますが、そういうものはおそらくずっっと以前から民衆の言葉として、民衆の口から口へ伝わっていたものである。あの素朴なあの原始的な偈文というものはそういうものでなければならないでありましょう。『大無量寿経』の本願というようなものも、もちろんある所では二十四願と伝えられていたかも知れないし、あるいは一願とか二願とか三願とか、何か一つを中心として民衆の口から口へと伝わってきていたに違いないでありましょう。そういうものが一つ背景的なものとなって、完成したものとなって現れたのはいつ頃であったか。それらのことはあるいは今日の新しい仏教の研究というものによって決定されるべきことであるに違いないのであります。

(親鸞の仏教史観 第5講より)