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親鸞の仏教史観 第1講-3 (7/28)

私は近来つらつら『教行信証』を拝読しておりますうちに、この浄土真宗とは何ぞや、という問題に当面しました。しかるに、ふと感得したことは、浄土真宗というのはこれは親鸞の体験せられた新しい仏教史観であったのである。親鸞が、正しい仏教史についての見方、つまり仏教史の伝統、仏道展開の歴史の正しい相、正しい仏道の精神、それを明らかにした。だから、浄土真宗というのは、つまり親鸞の感受せられた仏教史観の名のりである。親鸞が法然上人から本願念仏の教えを受けられまして、むろんその時から、おぼろげながらもこの選択本願の仏教史観の原理というべきものが、何と名づくべきか知らないけれども、一つの仏教史の根本精神というべきものがおぼろげにあっただろうが、親鸞は九歳の春の時に天台の慈鎮和尚の門を叩かれました時から、始終悩みに悩んでおられる自己の真実の生死出離の問題が、法然上人をとおして、如来の本願念仏の教えというものによってそこに明らかになった。そうしてさらに法然上人をとおして、その人格をとおし流伝する仏道、すなわち法然上人の教えの伝統、その背景根源というものに静かに遠く深くさかのぼっていかれました。二千余年の昔にさかのぼっていかれまして、親鸞の今日まで二千年の仏教史によって、その二千年の仏教史の根幹、そこにはいろいろさまざまのおみのりの百花が爛漫として絢を競っております。いわゆる八万の法蔵をもって荘厳せられておりますところの仏道の歴史であります。その仏教発展の歴史、二千年の仏教展開の歴史、その仏教史の根幹となるものは何であるか。それが興法利生の久遠の因縁によって、ついに親鸞をしてはっきりとその古来を一貫する歴史観、すなわち仏教史の根幹精要を内観する心眼を開かしめた。その史観こそすなわち浄土真宗というものであったのであります。

(親鸞の仏教史観 第1講より)