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偶然と必然 (7/13)

適というのは偶然の意義であります。適は往の義、往遇の義であります。『文類聚鈔』には遇獲信心とあって遇と同義であります。そして遇の字は偶の字と同義であります。これは全く予定しないことである。何十年遇わない人が汽車の中で偶然に図らずもあうことがある。人間は約束しても容易に遂げることが出来ない。世の中には全く予期しないことが多く行われているのであって、予期していることが却って殆ど行われないようである。そうすれば結局物事は法の自然に本づき、人間の理知の好むと好まざるとに関係なく、その結果は成るべきようにしか成らぬのであります。私共は順逆の私情を超えて与えられたる境遇に対して、公正厳粛の態度を以て対応し、平等に忍従し、信頼し、供敬し、奉持し、満足し、感謝し、与えられたる偶然の事物の裡に深く帰入して、内的なる必然の意義を発見すべきであります。偶然は我等人間の理知が否定せられ、その無効を宣告する限界の感覚であると同時に、更に一如の本願力の不虚作住持の内的必然の招喚の純粋感情を表示するものであります。偶然を以て単なる感覚とすれば、所謂唯物的運命論に陥るであろう。しかしながら仏教に於ける偶然は内的必然に裏付けられたる外的偶然であって、誠に内外一如なるものであり、必然に証入するの契機であります。

誠に「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」であります。念仏なき所、世の一切はそらごとであります。それは内には煩悩具足の凡夫あり、随って外には火宅無常の世界が当然対応するからであります。しかしながら我等、一度如来に南無し念仏する時、名声十方に響流して、我等は内に煩悩を断ぜずして現生正定聚に住するが故に、外に火宅無常の世界はあるがままに法悦満足の世界となるのであります。

(行信の道  「40 偶然と必然」より)