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遇法と獲信-2 (7/12)

真実浄信億劫*獲。弘誓強縁には値というてあります。法に値うとは固より信ずることであります。真実浄信には獲というてあります。強縁は次の宿縁と相応じて外縁の意義を有し、浄信の内因に相対するのであります。これは体一・義別であります。弘誓の宗教に値うということは先ず総じて体を挙げ、信心を獲るということは後に別してその義を明らかにするのであり、順序は自然に立ててある。

適獲行信遠慶宿縁というに就き、行信というのは行のことじゃと香月院講師はいわれるけれども、しかしながら『略文類』の方は遇獲信心と書いてあるのに就て考うれば、名号の行に就て発起する他力信心のことであります。行は信全現行の体事である。体ということは本体というが如き形而上学的超経験的実在ではなく、現行、即ち現在の事行である。名号は現在の行であります。信というものは単なる自分の識見で定めたのではない。先ず現行の名号があって、之に批判証明せらるる所の無疑の純情なる能信があり、この行に証明せらるる純情の信こそ真信である。真信は決して行を証明するものではありません。行に裏づけられて信は現実的能信の事体を成ずる、真信は他力回向の信であるということを示して、今行信といったのでありましょう。

信は自力無効ということが主になり、行ということは他力全能ということが主になって居ります。信という所に自力無効ということがある。自力無効であるが故にこそ他力に帰せざるを得ざるが信である。行は自力の回向を必要としない、何故なら他力回向の大行があるからであるというのであります。


注:文中の*は匚の中に口という字です。

(行信の道  「39 遇法と獲信」より)