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光明は般若の悲母、名号は方便の慈父-1 (7/3)

ここに名号と信心、即ち大行と大信とを掲げ、そうしてそれを結んで専奉斯行唯崇斯信というてあるのであります。

前の第一段に如来の本願・光明、即ち仏願の生起本末なる浄土『大経』の本願真宗を掲げて、我等の大行・大信の由って来る所の宏遠なる淵源を明徴にされてあるのであります。就中、光明と名号、これは善導大師の『往生礼讃』には、
然 弥 陀 世 尊 本 発 深 重 誓 
願 以 光 明 名 号 摂 化 十 方 
但 使 信 心 求 念         
というてありますが、その光明・名号ということに就て少し思い浮べますことは、天親菩薩の『浄土論』の長行を拝読致しますというと、名義摂対という一章があり、名と義との関係を明瞭にして行くという所、そこに般若と方便ということが述べられてあって、その文章は『論註』の釈文と共に『証巻』に詳細に引いてあります。乃ち
向 説 智 慧 慈 悲 方 便 三 種 
門 摂 取 般 若 般 若 摂 取 方 
便 応 知               
とあるに就て、
般若者達如之慧名、方便者通権之智称。達如則心行寂滅、通権則備省衆機。省機之智備応而無知、寂滅之慧亦無知而備省。然則智慧方便相縁而動相縁而静。動不失静智慧之功也、静不廃動方便之力也。応知智慧方便是菩薩父母、若不依智慧方便五冊法則不成就。何以故、若無智慧為衆生時則堕顛倒、若無方便観法性時則証実際
(『証巻』より管理人が転載。ここから)
さきに、智慧・慈悲・方便、三種の門、般若を摂取す。般若、方便を摂取すと説きつ。知るべし」(論)とのたまえり。般若は如に達するの慧の名なり。方便は権に通ずるの智の称なり。如に達すれば、すなわち心行寂滅なり。権に通ずれば、すなわち備に衆機に省くの智なり。備に応じて無知なり。寂滅の慧、また無知にして備に省く。しかればすなわち智慧と方便と相縁じて動じ、相縁じて静なり。動、静を失せざることは智慧の功なり。静、動を廃せざることは方便の力なり。このゆえに智慧と慈悲と方便と、般若を摂取す。般若、方便を摂取す。「知るべし」とは、謂わく智慧と方便は、これ菩薩の父母なり。もし智慧と方便とに依らずは、菩薩の法則、成就せざることを知るべし。何をもってのゆえに。もし智慧なくして衆生のためにする時んば、すなわち顛倒に堕せん。もし方便なくして法性を観ずる時んば、すなわち実際を証せん。
(『証巻』より管理人転載。ここまで)

と釈してあります。

それで私はこの『浄土論』の本文並に『論註』の註釈というものに依って考えてみまするというと、智慧と方便ということがあるが、智慧というのは何であるかと申しますと光明である。方便というのは何であるかというと名号である。ここに智慧は菩薩の母であり、方便はその父であるというてあります。これは菩薩が仏道を求め、そうして仏道証入によって菩薩道というものに出て来る、その菩薩道の父母となるものは、正しく智慧と方便である。内には自覚の智慧を明らかにし、外には方便化身、所謂応化身を示し、煩悩の稠林に遊んで神通を現ずるのである。こう解釈して差支なかろうと思う。

(行信の道  「33 光明は般若の悲母、名号は方便の慈父−−−慧日と正智」より)