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宿業の実者、法界の権者 (6/19)

その実業の凡夫を述べまして、これからお話しますのは、斯乃権化仁斉救済苦悩群萠、斯とは何か。前には実業の凡夫ということを、難思の弘誓と無礙の光明を以て、それが存在して現れて来たということは成程と肯かれることであると申したのでありますが、今その実業の凡夫を斯と抑えて、乃権化仁斉救済苦悩群萠と『観経』の当分に即して而も之を超えたる『大無量寿経』の本願の歴史観中に統摂し来ったのであります。今日、猶且つ徒に之を以て権化の聖者か宿業の凡夫かと、こう宗学者達は無益の議論を戦わしているのですが、成程、善導大師と古今の諸師との対立は、実業の凡夫か権化の聖者かという問題であり、これはここに善導大師の大きな使命があるのであって、それは単に宿業の凡夫だというだけのことではないのでありまして、実業の凡夫たる人間が、それこそ本当に宿業の血によりて権化の仁たる神聖なる如来の事業をなさるのじゃという、本願の歴史の実相を示す為でないか。生身の聖者が史上にあるのじゃない。そういうものは正しい国や道の歴史の中には現れて来ないのであります。真実の大権の聖者というものは、誠に宿業の反逆の血の契機によって開顕する所の、超歴史的なる道の歴史観に於て始めて来現するものであります。神秘的なる虚仮の国の歴史には、そこに英雄も豪傑も悪魔も外道も、神人も聖者も、雨後の筍の如くあるけれども、真実一如の国の歴史にはそういう怪奇なる変態者は存在し得ないのであります。

私は思うのであります。印度や支那には聖人が出た。印度には釈尊が生れ、支那には孔子という聖人が生れ、又ギリシャにはソクラテスという聖人が生れた。然るに日本にはそれ等に比するような聖人も賢人も臣民の中には居ない。日本は凡夫国であります。上に万世一系の 聖上を大君と戴く所の万邦無比の国体ということは、日本臣民は古今一貫して凡夫なのであるということであります。凡夫というものは過去の業縁によって、時に善もすれば悪もする。凡そ自覚的意識に随いて起行するを聖者といい、無自覚的業縁に随いて起行するを凡夫というのであります。

(行信の道  「24 宿業の実者、法界の権者」より)