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教興としての宿業-1 (6/7)

然則というのは成程そうあれば、成程今までうかうかして居ったのであるけれども、久遠なる如来の本願の大道も今や浄土の時到り業縁熟して、調達が闍世をして逆害を興ぜしめたのである。その興逆害というのは何かというと、それは誠に仏法の正機を総じて外的に示したもので、先ず疑謗を逆縁とすることを顕し、次の韋提希夫人の求道の順因に対したものである。これは皆さんも御承知のことでありましょうが、釋尊の御在世に印度摩伽陀国の頻婆娑羅王という王さまがあり、その后妃がここに出て居ります所の韋提希夫人である。そして提婆達多は釋尊の従弟である。釋尊と頻婆娑羅王とは又互いに深い因縁があるのでありまして、釋尊が御修行なされました時に頻婆娑羅王が釋尊を訪ねられまして、正覚を成じなされましたならば、どうか第一に我が摩伽陀の宮殿にお出下さい、そうして正覚の道を教えて戴きたいと、堅くお約束をなされて居ったのでございましょう。だから頻婆娑羅王は釋尊の大檀那であります。だから釋尊はその約束に従い、成道なされるというと直に頻婆娑羅王をお訪ねになって、頻婆娑羅王の御供養をお受けになっていると伝えられているのであります。阿闍世太子はその頻婆娑羅王の子であります。これは頻婆娑羅王と韋提希夫人との間に於て久しい間子供がなくて、齢が寄られてから生れられたのが阿闍世であります。だから彼は父の王から非常に寵愛を受けて、我が儘なる無邪気な坊ちゃんに過ぎないのでありましょう。そこへこの事件が興って来ましたのは提婆から始る。提婆は釋尊と若い時から稍競争して居った。釋尊が成道なされた時に、とてもかなわぬものであるとして暫くは釋尊のお弟子となって法を聞いていたけれども、一体この出家の動機というものが極めて不純粋なものでありまして、名聞利養の心から出家したもの。一通り仏道というものの形式が解ったら、彼は独立の旗を挙げようという野心を有っていたようであります。偶ヽ頻婆娑羅王の子阿闍世にその機を見出したのである。

(行信の道  19 教興としての宿業より)