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『大経』と『観経』-2 (6/1)

古来第一段の『大経』及び第二段の『観経』に対して、第三段は『阿弥陀経』の意をお示しになったものである、即ち次第の如く法の真実、機の真実、並に機・法の真実を顕して、浄土三経の大綱を示されたのであるとする見方もあるのでありますが、敢てそういうことをいわんでも、三段を通じて正しく『大無量寿経』の大綱を述べて、一貫して真実教の座に列してあるのでありましょう。そうしてその中間に機の真実を顕す所の『観無量寿経』に依って、正しく浄土の興起の機縁というものをお示しになったのであります。けれどもその『観無量寿経』というものは枝末法輪であって、結局、根本法輪なる『大無量寿経』より生じて、復遂に『大無量寿経』に帰著し、始終『大無量寿経』を背景とするものである、こういう所から中間に『観経』に依ってお示しになったのであります。結局は『観経』というものも『大無量寿経』の中の『観経』である。随って三段を通じて真実教たる『大無量寿経』の大綱を明かすと解すべきであります。私は第三段が正しく『大無量寿経』下巻に明かせる第十八願成就の文の意義、更にそれを詳しくいえば『大無量寿経』に連続して開顕せる第十七・第十八の二願成就を総括して、如来の大行・大信というものを以て衆生に回向する、如来の表現回向し給える衆生界、即ち行・信の生活というものをお示しになったのがここであろうと思うのであります。

(行信の道  16 『大経』と『観経』より)