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業道と理想的自我の象徴-1 (5/23)

これは大乗仏教の阿頼耶識の因相・果相というものに就て、果相という方は迷の世界を顕しているのであるが、因相の世界はこれは真理の世界を顕す。それでつまり果相の迷の方は業道自然の世界であります。自我が理想の倒想によって自我の全智全能を証明せんと思惟し勤行すると、その求むる所は精神世界であるが、その求め得たるものは全く異熟せられたる、即ち不純に象徴せられたる物質世界であった。しかしながら静かに深くその背景である所の因相という無尽の法蔵から果そのものを照し見る時、そこに始めて自己の自由を縛ると思われている所に深い意義を、深い真理というものを感得することが出来る。現行の果報は徒に自分を苦しめ自由を束縛するものであるように思われるけれども、しかし何か自分と深い必然の因縁を有っている、遠い宿業の交渉を有っている、血のつながりを感ずる、こういうことになって来ているのでありまして、そういう所に純粋完全の象徴の世界というものが感得せらるるのである。

象徴というと唯麗しい絵を見るように皆さんは思われるかも知れませんが、それは真実に象徴の意義を知らざるのみならず、亦真実に絵画を知らないのであります。本当の象徴の世界というものは真実の芸術の世界であり、それは生命の世界であって、何か知らんけれどもそれは自分の血肉であるということを感ずる。そこに何か徒に自分を楽しませるとか、そういう懈慢界じゃない。例えば本当の芸術の世界というようなものは、根本主観なる阿頼耶識が外處に感ずる器界なる山河大地、内處に感ずる有情界であります。即ち生ける魂、現実の生命、流るる血、躍動する肉、それを感ずるものは有情の感覚、この感覚の主体を有情というのであります。有情というものが一の感覚であります。

(行信の道  13 業道と理想的自我の象徴より)