表紙

     

resources

rss1  rss2  atom03

見えざる本願力と見ゆる光明力 (5/17)

これがつまり願力自然というものと無為自然というものの二の関係を語っているのでなかろうかと思うのであります。だからして願力自然というものは無為自然というものが無ければ全く成立しないものである、而も無為自然は願力自然によって始めて具体化するものでありまして、願力自然の因縁の大道こそ無為自然の純粋象徴であると、こういうことになるのである。因位の本願力を念ずる時、我等は絶対服従を命ずる命令を感ずるのであります。之に反して果上の光明自在神力を念ずる時、我等は絶対自由をそこに感ずるのであります。絶対服従の中にのみ絶対の自由というものがある。無縁大悲の力によって否応ないのが弘誓であります。之に対しては絶対の依憑、無疑の信以外に何ものもない。弘誓に対して真実の信を行ずることによって、我等は完全円満の自由を成就せしめられるのであります。

もう少し言葉に就てお話し致したいと思います。私は先ず難思弘誓度難度海大船等の四句の言葉が四六調になって居りまして、難思弘誓は四字、度難度海大船は六字、無礙光明は四字、破無明闇恵日は六字、四字六字四字六字という形式になって居ります。而も難思弘誓に対して難度海、難と難とが相対応して居ります。又無礙光明に対して無明闇、無と無とが対応して居ります。

ここに度難度海大船と仰せられてある大船に就き、聖典の言葉を議するようでありますけれども、大船というのは、恐らくは行の徳を云い顕さんとせらるるのでありましょう。随って次の恵日という語に対比すべき語でありまして、若し語を調えるならば、行船とでも云うべき所じゃないか。尤も行船など新しい言葉をお作りになる必要はなく、寧ろ弘誓の弘に対して大船と仰せられたものと考えられますから、矢張り文字としては大船という方が自然でありましょうが、意味から云えば大船は大行の船と解すべきじゃないかと自分は戴いて居るのであります。私は今、善導大師の阿弥陀仏者即是其行ということを思い出しまして、感ずる所を申し述べたのであります。

(行信の道  九 見えざる本願力と見ゆる光明力より)