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一如は本能-1 (5/11)

仏教には一如とか真如とかいいますが、何か高尚な理想であると西洋哲学流に考えまして、『起信論』なんかでいう真如とか一如とかいうことは高遠なるものと思って居ります。本当に高遠なるものなのでありましょうけれども、「道は邇きに在り」、遠いと思われる所のものが最も近くにある、これは直接教えることじゃないでしょうか。西方十万億土、遠い處に極楽がある、最も遠い處に最も近いものを見ているのでありましょう。だからして最も近い處に却って我々は遠い感じがする。「山に入るものは山を見ず」ということもありまして、本当に山の全てを見んとすれば山を離れなければならぬ。かくの如く仏法に於きまして迷悟一如というようなこと、或は一多相即とか、煩悩即菩提とか、生死即涅槃とかいう、それ等は高遠なる理想ではなくして本能である。本能に於て始めて云えるのではなかろうかと思います。どうもしますというと仏法の一如を以て極めて高遠なる理想主義というものの如くに考えてられて来たのが聖道門でないか。それを本当に元の本能に戻して来るのが浄土教であります。
(行信の道  五 一如は本能にして理想に非ず より)