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仏国土の意義-3 (5/9)

仏法に於きましては、殊に仏の国というものを我々の生活の無作法爾の基礎として説いているのであります。この国土というものは、我々の理知を以ては真の国土というものは解らないのである。結局、理知から云えば個人とか民族とかより外はない、人間より外はない。人間のみが万物の霊長であり、神の主体である、こういうことでなければならぬのであります。即ち人間を万物の霊長であるとして、それを証明せんが為に神というものを立てる。神は人間が万物の霊長であるということを証明する媒介者である。だから神が若し人間が万物の霊長であるということを証明しないならば、神は廃さなければならぬ。人が万物の霊長ということが神を要せずして直接証明されるならば、神は要らないのである。だから自分が万物の長であるという証明の方法として神をもって来た。成程、神によって人間は他の動物よりも優れ、万物の長であるということを証明することは一往出来たかも知れませぬけれども、かくして証明せられた万物の霊長者は同時に神の奴隷となり、神の下僕となった。そこに大きな矛盾があるのではないか。万物の霊長であるということと神の下僕であるということは何か大きな矛盾がないか。

我々人類は神によって自己が万物の霊長であるということの証明を求めて、結局は神の奴隷に堕ちなければならなかった。かかる大矛盾は、神を証明せんとしたる方向を転回して神を否定することになるのではなかろうか。そういう立場から行きますというと、全く人間は理知の立場に立つ限りは真実の国土というものは無いものであります。理知の前には国土というものは人間の魂の安住の郷土でなく、単に人間の限りなき欲望を満たす為の手段の資本に過ぎない。同時に人間を苦しめる穢土穢国である。国土の為に古来人間が多くの生命をさえ失うているのでないか。つまり人間がこうして国土を争うのは、それによって理想の浄土創建して自分の願望を満たす為でありましょうが、それが却って穢土を生成して人間を苦しめる結果になって来るのではないか。是れ誠に無為自然の純粋真実の国土というものに触れない、つまり偽りの国土、国土の皮相だけを捕まえている為ではないかと思います。これは現在の我々も矢張りそういうことに関して、もう少し考える必要がないかと思います。
(行信の道より、昨日の続き)