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竊以の意義-2 (5/6)

然るにここに表明せるものは単なる祖聖の私見でも独語でもありません。文字の句調から申しても、難思弘誓度難度海大船ということは、龍樹大士の『十住毘婆娑論』易行品に依り、又無礙光明破無明闇恵日ということは天親菩薩の『浄土論』、曇鸞大師の『往生論註』に依って述べられたものである。更に遠く根源に遡ってみますと『大無量寿経』上巻の法門全体、広く如来浄土の因源・果海を尽くして述べてある所の大綱を、ここに掲げられて居られるように戴けるのであります。だからこれは決して聖人の独断の言葉ではありません。随って竊以ということは私の見解、一個の主張ということじゃないのであります。

俺はこう思うんだという風に、御自分を主張されるのではなくして自分如きものの口を藉りて尊貴なる仏法を申すということは誠におこがましいことである、だからこう恥じ入って竊以と仰しゃったのっでゃないかと、私は戴くのであります。随って聖人が卑謙されますのは、尊き法に対して自分の身心の卑しさを深く畏れられたからではなかろうかと戴くのであります。だからもう一つ考えますと、この尊い法義を述べるならば、我こそ如来の使徒であると大いに力んで、大声疾呼して差支なかるべきではなかろうかと思います。それを自ら卑謙して、静かに落着いた態度を以てこの尊い所の法義を述べられたいうことは、所謂聖道門の多くの方々のように、自分の智慧才覚を以て証得した所の自性唯心の自力道ではないのであって、これは自分に与えられた所の仏祖伝統の御法である、所謂「さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じひとにもをしへきかしむるばかりなり」と、「弟子一人ももたずさふらふ」という態度で明らかになされまして、竊以と卑謙して、極めて静かにゆったりと、この御言葉を述べられたのではなかろうかと戴くのであります。だから竊以は破無明闇恵日という處までであると申したい。
(行信の道より、昨日の続き)