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竊以の意義-1 (5/5)

これから第一段のお言葉に就てお話をさして戴きたいと思います。先ず「竊かに以れば」こう述べてあります。竊以というのは発端の言葉である。これは聖人静かに深く自ら内省して卑謙して、これは愚禿の己心の法門で、あまり大きな声で天下公衆の前に叫び命令するというようなことではない、自分は唯竊かにかくの如く思うて居るだけのことである、こう自ら卑謙しておいでになることであると古来から申して居ります。それはそれに間違いないことである。だからして私共は聖人御自身の感情では、他人に対って命令するというようなことでなくて、唯静かに独語をして居らるるのであるというように思うていたこともありました。しかしながら此頃考えてみますと、どうもそれだけでは充分ではないと思うのでございます。

一体、聖人がかくの如く先ず竊かに思うだけだといわれるのは、何故そう卑謙されるのであるか、何人に対して卑遜せずにはいられないのであるか、ということを考えてみたいのであります。何故そういうことを申すかといいますと、それは竊以というと、唯私の意見、即ち単純なる己証を述べることじゃないかという風に聞えるのでありますが、扨て事実次の言葉を拝見してみますというと、全くそれと違って居ります。それは驚くべきことであると思う。先ずそれを申します前に、そこに竊以ということは一体どれだけのことをおもうてみられたのか。祖聖が謙遜して、又この総序の文全体に通じて、竊以といわれたものであるという風に、私は前には漠然と考えて居ったのでありますが、今考うるにどうもそうではないと思います。ここに竊以というのは、これは難思弘誓という處から破無明闇恵日という處までを、竊かにおもうてみられたのであるに違いないと思います。それはどうしてそういうことを申すかというと、その次に然則と出て居り、少し行くと斯乃とあり、又故知とある文章の接続詞というものがある。この接続詞というものが文章には大切であって、それ故に今初から読んで行きまして「無明の闇を破する恵日なりと」、とという仮名を附加して拝読したらどうかと思います。だから今の内容から申しますれば難思弘誓と無礙光明、即ち如来の因位の弘誓と果上の光明との二の事実に就て竊かにおもいみられたのであります。だからこれは難思弘誓度難度海大船、無礙光明破無明闇恵日という二句十字を、竊かに念ぜられたのである。

行信の道 第一段  仏土の因果
 三 竊以の意義より