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総序の文段-2 (5/3)

茲に更に私自身思いますには、この五段中初の三段は大体に於て意義が一貫している。初に弥陀浄土の独自の体相を明らかにして遂に行信を以て証明し、この行信を切に結勧して居らるるのであります。然るに古来多くの学者達は第三段の初の方の除疑獲証真理也の處で大段を切り、その次の爾者という處から終りまで一貫して大段が変るように見て居られますが、しかし私は除疑獲証真理也で切っては、一往は理を尽すが再往は情を尽し得たとはいい得ないと思います。それは名号と信楽との二法の徳用を第三段の初に挙げまして、次で一層第一第二を総括してその徳を讃し、切に道を求めて悩むものを勧めて、遂に専奉斯行唯崇斯信と結んである所から見ますと、唯崇斯信という處まで仏土憶念の深き感情はずっと連続して不可分であると見て行くのが当然でないかと思います。だから竊以という處から唯崇斯信という處までを一括して第一大段として来たらどうかと思います。次の噫弘誓強縁という處から何か急に調子が変って、今までの處は然則とか故知とか接続詞によってちゃんと同一調子で文脈が続き、遂に唯崇斯信と飽くまで静かに結んだのでありましょう。それから噫とここに咏嘆の言葉が出されて、何かこれから調子が高まって前の三段を概括し、第一段難思弘誓に遙かに応じて弘誓強縁多生叵値と急に大声疾呼して居らるるように、自分は感ずるのであります。だから噫という處から新しき第二の段が始るのでないかと、こう思うのであります。
(行信の道より、昨日の続き)