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『教行信証』の外題と内題-2 (4/29)

そうしますというと、従来の三法の中間に信という一法を新たに附加えて祖聖の己証を顕された所には、極めて重大なる意義を有っているということになるのであります。それは信の一法を以て、それに先立つ所の行というものは我々衆生の機上建立の個人的自力の能行ではなく、如来の本願力回向の歴史的超個人的所行の法であるということを顕し、同時に行に次ぐ所の信を以て本願力回向の大信心にして、即ち選択本願の故に信心の当体則是其行である、随ってその如来回向の信心を正機として、別に自力能行の機を待たずして直に浄土真実の証果を得る、「涅槃の真因は唯信心を以てす」る信心正因称名念仏を顕すということになって来るのでありますからして、教・行・証という時になれば、これは全く如来本願の回向の平等唯一無二の仏道であるということを明らかにすることでありますから、勿論、それに対する聖道門や浄土方便の道は無いのであって、特に浄土真実の簡別の語を冠する必要はなく、それ等は凡夫機上の差別であって、恰も日出前の霜に過ぎないということを示さんが為に、外題には単刀直入に『教行信証』と独自の己証を掲げて居られる次第でございます。

然るに翻って内題の方へ参りますと、成程、最初の総序の前と最後の後序の畢とには『顕浄土真実教行証文類』と表標してありますけれども、これは全体の題目でありますが、一巻一巻に就て申しますれば、『顕浄土真実教』、『顕浄土真実行』、『顕浄土真実信』、『顕浄土真実証』、それからその次に『顕浄土真仏土』と、かく前五巻というものは真実の法を述べてあるのであります。然るに第六巻に参りますと『顕浄土方便化身土』とあります。このように真実の行・信の意義を明らかにせんが為に、行・信の最後の真実覚証というものの本能的当体として、究竟広大なる凡聖逆謗斉回入の真仏土という仏境界を開顕し、この平等一味の真仏土に対して新たに方便化身土を開顕して、由って以て真実の教・行・証の道の自然無為の真理なる根源を明徴にされたのであります。かかる深甚の意趣により、特に内題には精細に『顕浄土真実教行証文類』というように、相対的に名前を掲げられたような次第であります。だから今申しまするように単に教・行・証と申しますれば、外には聖道の教・行・証に通じ、又内には浄土方便の教・行・証に通ずるものであります。これ等の教に於ける教・行・証は自力の機上建立の故に、その三法が体各別であります。
(行信の道より、昨日の続き)