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仏法の道理 (4/24)

ただ法体がある。法に依って助かる。助かっても亦法の中に助かっている。助かったといって助かったものと、助けたものの法と二つあるのでない。助かったということは法の中に帰して助かる。だからして助ける仏さまも念仏の中においでになる。助かる衆生も念仏の中に居る。ただあるのは念仏だけ。これだけは無始久遠より尽未来際まで滔々として流れている。そこに仏さまあり衆生あり、機法一体の南無阿弥陀仏、こう申すのであります。そういう道理が仏法の道理と申すのであります。この仏法のお助けという意味と、外の世界中のいろいろのお助けという意味とは全く意味が違っている。全く南無阿弥陀仏の法たった一つしかない。だからして南無阿弥陀仏が即ち浄土。南無阿弥陀仏の歴史から生れて南無阿弥陀仏の歴史の中へ摂め取られる。そうして南無阿弥陀仏のあるところに永遠に成仏している。そうしてもう南無阿弥陀仏に一遍摂め取られたら永遠にそこから追い出される気遣いがない。この一生は南無阿弥陀仏の中にある。未来の浄土も南無阿弥陀仏の歴史の中に連続してあるからして、歴史を離れてお浄土があるのでありません。尽未来際まで南無阿弥陀仏の歴史が続くのであります。是が浄土真宗の真意であります。念仏往生ということは、念仏と往生と二つあるのでなくして、念仏さして戴くことが往生であります。だからして死んでお浄土へ往生しても南無阿弥陀仏、何処までも永遠に南無阿弥陀仏、もうはや是位で南無阿弥陀仏をやめてやろう、そうではありません。幾ら行っても南無阿弥陀仏であります。そうして南無阿弥陀仏の味わいはどれ程の深味があるか、その深さも知れない。こういう南無阿弥陀仏。そういうことが浄土真宗の眼目であるというのであります。乱雑なような言い方をしているようですけれども、事柄は明瞭であり、又簡単であるのであります。

以上で『真宗の眼目』終わり