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三願転入の根本 (4/21)

で、三願転入ということは、第十八願の欲生我国というものが根本である。その欲生我国というのは何か、十九の願の欲生我国、第十八の願の欲生我国、二十の願の欲生我国と別々に欲生我国はあるように言ってある。けれども欲生我国は一つしかない。体そのものは一つでありますけれども、それが機の上について暫く三重に現われているのであります。機の上に於てこそ三重に現われているけれども法から云えば一つであります。要するに第十八願の欲生我国たった一つしかない。欲生我国は第十八願の中にあるのであるけれども、同時に第十八願を生み出すところの原理母体である。ちょうど女性が子供を産むようなものでありまして、女性の体の中に子供を産む元を持っている。母体があれば子供の種がある。その種が又子を産む種を持っている。それは重々無尽であります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

そういうものは目に見えぬが一粒万倍と申しまして一粒の米の中に稲になりたくさんの米になるところの元がある。その中に又その元がある。そういうようなものでこの欲生というものを取ってしまうというと、第十八願というものはただほんの完成したものだけである。ちょうど親のようなものである。その第十八願の中に欲生がある。欲生というものは第十八願の根元である。だからその根元が見つからぬような第十八願というものは死んだものだ。だからその根元があるからそれが法蔵菩薩、その正体は何かと云えば欲生我国である。阿弥陀如来の正体も亦欲生我国である。因と果とを欲生我国が貫通している。又親様も欲生我国、吾々も欲生我国。親と子と貫通している。そうじゃありませんか。迷って居っても欲生我国、悟っても欲生我国、悟と迷と貫通している。それはちょうど人間の中に一つの新しいものを生殖するところの一つの本質がある。それと同じようなものであります。だからして人間の命は直き死んでしまう。けれどもちゃんと又自分の後継ぎを作るだけの根元を備えている。第十八願というのは一人の人間のようなものである。第十八願の中の欲生我国というのは限りなく又第十八願を産み出して行くところの根元である。ちゃんとそういう仕掛けがある。それを知らんでただ信楽一つさえあればこういう信楽というものはどうして出て来るか。欲生があって信楽が出て来る。欲生がないところに信楽は出て来ない。だから自覚の原理それを知るのが廻向心である。