表紙

     

resources

rss1  rss2  atom03

佛知見の世界 (4/11)

そういうことは唯佛与佛の知見と申しまして、即ち佛知見の世界でありまして、純粋感情の佛の世界を我々人間が彼の此のという訳でない。それは皆佛の不可思議の御方便というものであって、それは吾々人間の知るところでない。ただ私共に現在与えられているものは、南無阿弥陀佛より外はない。ただ南無阿弥陀佛が与えられている。佛さまと申しても南無阿弥陀佛である。南無阿弥陀佛がおいでになる。こういうのであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

外の佛さまは光明無量とか寿命無量とか何かのことを冥想しなければ出て来ない。薬師如来・大日如来は冥想しなければ出ない。阿弥陀如来はそうでない。南無阿弥陀佛といったら、そこにおいでなさる。冥想の対象なって居る佛さまは救って貰ってもそれは冥想の救いだけである。現在の救いはない。南無阿弥陀佛のあるところには現在の救いがある。現在事実救われる。事実とはどういうものであるかと云ってみると、今我々は日本の国民として、世界に対して今日重大時機に際している。ここにこの事実にぶっつかってここに救いがある。如何なることにも心を動かさず、如何なることに対しても迷がない。一時の迷はあるだろうけれども、しかしながらその迷わしに会うても心が動揺しない。自ら正しい道に帰ることが出来る、帰らして貰う。こういうことがつまり現生不退という。年寄りは年寄りらしくしてやはり明るい心で居られる。年寄りだってひがみ根性を起さないでいることも出来る。佛のあるところは、そこに朗らかな心でいることが出来る。