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歴史の体 (4/10)

それと同じように歴史というものは、三千年の時間というものが連続している。時間に連続がある。その時間の体を表わして南無阿弥陀佛。念佛を念ずるというと三千年も今の如し。又佛を念ずれば千里もここにあり。佛を念ずれば十万億土もここにあり。佛を念ずれば五劫思惟の本願も現在にあり。その南無阿弥陀佛というものを離れてみれば目前にありといくら冥想しても目前にない。だから南無阿弥陀佛というものは歴史の体である。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

南無阿弥陀佛のあるところに、そこに歴史がある。南無阿弥陀佛のあるところにそこに国土がある。国土は空間であり歴史は時間である。時間と空間とが一つになったところが具体的である。南無阿弥陀佛を念ずれば、そこに十万億土あり。だから十万億土といっても飛んで行くのでない。此処に居るまま十万億土に往生したという道理になる。道理を説いているのであって、別にここから十万億土へ飛んで行くのでない。南無阿弥陀佛を称えると、遠い所から弘誓の船で以て迎いに来なさる。その弘誓の船に乗って、生死の大海極りもなしというから、その生死の大海をえらい速さで向うの岸について行く。そんなのは純情です。純粋感情を具体化し象徴化した。だからして別に、そういう所へ連れて行くと仰しゃるから往かねばならぬ、そんなようなことも何も云う必要はない。だからして別に十万億土ということを肯定する必要もなく否定する必要もない。それはそのまま。そのままということは肯定でもなく否定でもなく、ちゃんと昔からそういう工合に、光明無量・寿命無量のその純粋感情の教義を説いて置かれるのである。