表紙

     

resources

rss1  rss2  atom03

現生不退の念佛 (4/8)

本願名号正定業という。これはもはや一遍の中に無量無遍の念佛がおのずからあるから、一遍称えたら既に無限に続いて来る。之を現生不退の念佛という。本願名号正定業というのはそういう道理であります。だからして一遍も十遍も同じことである。一遍称えればもう一遍の中に十遍も百遍も、それを乃至という。乃至といえば大概の人はプラスすると思っている。乃至ということは沢山の念佛をプラスして行く、こう思っている。乃至ということは続いているということ。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

切れ切れのものを寄せ集めて乃至というのでありません。沢山のものを寄せ集めて乃至というのでない。乃至十念という、その乃至というものは連続すること、相続して断えざるを乃至という。憶念の心常にして断えざるところに乃至がある。そうでなくて乃至ということはない。だからして一念も十念も一つ。皆連続しているものであれば、一念も十念も一生涯も皆常にして、一念帰命のところに立っている。我等浄土真宗の立場は何処に立っているかと云えば常に一念帰命のところに立っている。一念帰命は現在である。昔すんでしまったら過去になってしまう。過去はないもの。ないものがどうしてある、そうでない。一念帰命というものはこれは無限に連続しているもの。だからして何時でも一念帰命、一念帰命が連続している。そういうところに佛の歴史というものがある。念佛の歴史というものは、お釈迦さまが入滅なされてからして、全く三千年隔たっている。隔たって居ったら歴史が成立たない。三千年と今と連続しているとところにそこに歴史がある。三千年猶今の如し。三千年というものは今の如く儼然としてある、そこにつまり歴史がある。