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円い南無阿弥陀佛 (4/5)

兎も角も南無阿弥陀佛――即ち本願力廻向――を円を以て描いて見ると正しく次の如くである。


それに反して念佛を自力の心で以て称えるならば、
    南無阿弥陀佛
    ――――――
と直線になっている。直線の念佛と円の念佛。開山聖人に、「行といふは即ち利他円満の大行なり」というようなお言葉がある。或は「大行とは、即ち無碍光如来のみ名を称するなり。斯の行は、即ち是れ諸の善法を摂し、諸の徳本を具せり、極速円満す。真如一実の功徳寶海なり。かるがゆゑに大行と名づく。」利他円満の大行とか、極速円満とか南無阿弥陀佛の円ができる。縦の直線の南無阿弥陀佛はただ南無阿弥陀佛と固定して全く連続がない。一声一声孤立である。けれども円い南無阿弥陀佛は阿弥陀佛・南無、南無・阿弥陀佛と限りなく続いて来る。南無・阿弥陀佛とも聞えるし阿弥陀佛・南無とも聞える。自力念佛は力んで南無阿弥陀佛・南無阿弥陀佛といくら称えても南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛で切れてしまう。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

本願力自然に出て来ておいでになる南無阿弥陀佛は、南無阿弥陀佛とも聞えるし阿弥陀佛南無とも聞える。南無阿弥陀佛と称えているようでもあるし、阿弥陀佛南無と称えているようでもある。南無阿弥陀佛と云っているかと思うといつの間にか、阿弥陀佛南無と言っている。これはまあ一つの説明になるけれども、実は事実であります。かく南無阿弥陀佛がまた阿弥陀佛南無と聞えるというところに、阿弥陀佛が南無に帰し、南無が阿弥陀佛に帰る。こういうふうに南無阿弥陀佛はたった一つの南無阿弥陀佛なれども、本願の念佛はたった一つの南無阿弥陀佛が無限に続いて来る。「往相廻向の利益には、還相廻向に廻入せり」というならば、南無阿弥陀佛の方は往相、阿弥陀佛南無は還相で、阿弥陀佛南無、阿弥陀佛南無と限りなく南無へ行くところに、南無より阿弥陀佛へ無限に進むところの方向。阿弥陀佛から南無へ帰って行く二つの方向が南無阿弥陀佛の中におのずからある。我々が直線の南無阿弥陀佛ばかり知っていて円の南無阿弥陀佛を知らないものだから、直線の南無阿弥陀佛ばかり知っている人はどうしても臨終現前まで行かなければならぬ。