表紙

     

resources

rss1  rss2  atom03

願行一体、因果一体 (3/30)

だからこの南無阿弥陀佛に於て、佛あり、浄土あり、我あり、地獄あり、宿業あり、生死がある。しかし南無阿弥陀佛に浄土ありはよいけれども地獄ありは変でありましょう。けれども南無阿弥陀佛のないところに地獄もない。南無阿弥陀佛のところに初めて地獄を知らして貰う。南無阿弥陀佛に因って地獄一定を知らして貰う。地獄一定の我というのは南無阿弥陀佛の上にある。だからして南無阿弥陀佛に於て、迷あり、悟あり、亦佛あり、又我あり、浄土あり、地獄あり。南無阿弥陀佛の外に地獄もなく極楽もない、佛もなく我もない、ただ南無阿弥陀佛がある。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

初から南無阿弥陀佛がある。その南無阿弥陀佛は尽未来際まである、又現在ある。過去にも南無阿弥陀佛があり又未来にも南無阿弥陀佛がある。内にも南無阿弥陀佛がありまた外にも南無阿弥陀佛がある。この国も南無阿弥陀佛、外国も南無阿弥陀佛。この国にのみ南無阿弥陀佛があって、外国にないならば、それは本当の法という訳にゆかない。自分の国にだけあって余所の国にないような法は本当の法でない。内に南無阿弥陀佛があれば外にも南無阿弥陀佛がある。内に南無阿弥陀佛があるが外は真暗、そういう訳はない。内に光があれば外に又光がある。外に観ずる南無阿弥陀佛は果上の南無阿弥陀佛。内に観ずる南無阿弥陀佛は因位の南無阿弥陀佛。内に因位の南無阿弥陀佛を観ずれば外に果上の南無阿弥陀佛を観ずるのである。内に観ずる南無阿弥陀佛は寿命無量であり、外に観ずる南無阿弥陀佛は光明無量である。光明も南無阿弥陀佛、寿命も南無阿弥陀佛、ただこの六字のみ名の外に何ものもない。念ぜらるるところの佛も南無阿弥陀佛。それを機法一体という。又内外不二と云い願行一体とも言う。内には願、外には行。因にあっては願、果にあっては行、願行一体、因果一体と言う。