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阿弥陀如来の別願 (3/28)

超世無上に摂取し
選択五劫思惟して
光明寿命の誓願を
大悲の本としたまへり


光明無量・寿命無量ということも詮ずるところ南無阿弥陀佛ということ。南無阿弥陀佛が光明無量・寿命無量ということ。南無阿弥陀佛を念ずれば佛の光明無量・寿命無量を念ずるのである。だからして南無阿弥陀佛を念ずる時に、光明無量・寿命無量皆南無阿弥陀佛の主になる。それを現生不退という。それがつまり光明無量・寿命無量の本願を起して下されたところの阿弥陀如来の別願というものである。こういうのであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

こういうことは大変意味の深いことであります。又こういうところに同じ佛でも阿弥陀如来という佛と他の諸佛と、諸佛の上に就いて佛を念ずることと、阿弥陀如来に就いて佛を念ずることと、念ずる意味が全く違うのであるということを、吾々は発見することが出来るのでございます。で、光明無量とか寿命無量とか云っても、ただ光明無量を念じ寿命無量を念ずるということは、冥想するだけでありまして、冥想して居る時は光明無量というような気持もするし、寿命無量というような気持もする。けれどもそれは冥想する時だけのことであって、醒めれば何もない。元の杢阿弥。ただ元の人間。ただ何か知らんけれどもある時期の間だけ念ずれば、光明無量・寿命無量になったような気がする。けれどもそういう気がするだけのことで、寿命無量でもなく光明無量でも何でもない。阿弥陀佛の本願というのは何であるかと云えば、六字のみ名を成就する。そのみ名の中に我あり、また汝あり。こういうのが阿弥陀佛である。