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無量寿 (3/26)

本願成就ということは、我々が助かって初めて本願成就。助かった人が本願成就を知って、助からん人は本願成就は知らないのである。「弥陀成佛のこのかたは、いまに十劫をへたまへり」これは助かった人の助かった喜びを言ったのである。自分が助かったことについてその御助けの由って来たことの如来の御心の遙かに遠く、又尽未来際まで如来の御本願というものは、生きて現在して働いて下さるということを、「弥陀成佛のこのかたは、いまに十劫をへたまへり・・・・・」という。救われない者が、弥陀成佛のこのかたは今に十劫をへたまえりと云うのでないのです。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

救われた人がしみじみと親様の御苦労というものを思い出さして貰うた、そうしてこの親心というものは即ち菩薩魂、その菩薩魂というものがずっと永遠に、既に十劫をへたということは、それは如来の本願力というものは永遠に続いて尽未来際までも働いて下さる。人間の考える世界というものは働いたら損がゆくと思っている。なぜならば自分が何か作って置いて、そうそう働いただけ心身の疲労する、a−b−c−d働いただけ力が減った、だんだん働いただけ損がゆく、だからして成るべく働かぬようにする。佛の世界はどうかと云えば、佛は働いたら働いただけ佛の神力が増して来る。皆a+b+c+d+e。それは無量寿。マイナスの世界には無量寿はありません。マイナスの世界は有量寿の世界。プラスの世界に於て初めて無量寿。佛さまの世界と人間の世界とどう違うか。人間の世界はマイナスの世界、佛さまの世界はプラスの世界、こういうように申したら一応了解が出来る。それを無量寿と云うのでありましょう。