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本願成就 (3/25)

それだからしてそれを暫く名号の上に就いて云えば、実体は何処にあるかと云えば因位永劫の間に於て南無阿弥陀佛は願としてあった。それが十劫正覚の本願成就の時に即ち行となって六字の言葉として出来上った。それまではただ一つの思想と云いますか、内なる願としてある。しかしながら今み名の六字に就いて申しますれば、南無は願なり阿弥陀佛は行なり。その六字の中に於て、初の南無ということは内にあるところの願。阿弥陀佛は外に顕われたところの行。また因位に於けるところの南無阿弥陀佛はみな願である。果上に於けるところの南無阿弥陀佛はみな行である、そういう工合になります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

いま六字について南無の二字は願なり阿弥陀佛の四字は行、願行一体という。だからして阿弥陀佛を信ずるところにそこにちゃんと願が成就している。願が成就しているから現生に正定聚に至る、それが本願成就。本願成就ということは何であるかといえば、信ずる一念に即得往生の益を得るということであります。漠然とただ佛の本願がむかし成就したぞ、そういうことを本願成就だと思っている人がある。そんなことを幾ら太鼓を叩いて振り回しても本願成就でない。本願成就ということは我々が助かって初めて本願は成就する。本願は成就したが我々は助からん。それでは何も成就でない。私が助かったということが本願成就である。それを機法一体という。本願成就ということはどういうことであるか。南無帰命の一念に現生正定聚を得たということである。