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信受 (3/20)

是は外のことでちょっと思い付いたから、思い付いた時に云って置かんと忘れるから、お話申して置きましょう。それは受けるということであります。

弥陀の報土をねがふひと
外儀のすがたはことなりと
本願名号信受して
寤寐にわするゝことなかれ


「本願名号信受して」とある。信受は信じ受けるということ。信じ受けるということはどういうことであろうか。昔の学者達は信受するということは真受けにすることである、こう解釈する。信はまことである、受はうける。まことに受ける。真受けにすることである。こう解釈している。それでもよい。それでもよいけれどもしかしながらそんなふうに解釈してそれで既に分ったということになるというと、それでは少し足らんと思う。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

それで私は、本当に信ずるということはただ徒らに信ずるのではない。受けるということが大切であります。受けるとは受取ることである。この受取るということは引受けるということである。受けるということは受取る以外に引受けるということがある。はあ大丈夫引受けました。こういうことを云う人がある。金を渡しますと一万円確かに受取りました、こういう人がある。だから兎に角引受けると受取るとは、或は言葉の使いどころで意味は違うかも知れん。けれども大体引受けると云えば何か仕事を引受けるのである。受取るという時になれば何か品物を受取る。こういうことが主になる。けれどもまあ大工さんが仕事を受取った、お金を受け取った、仕事を受取ったなどということは仕事を引受けるということ。だから因にあっては引受け、果にあっては受取る。因と果との違い。因の名を名と云い果の名を号と云う。名号ということは因に就いて名と云い果に就いて号と云う。同じ南無阿弥陀仏も法蔵菩薩としては名。昔の法蔵菩薩の本願の南無阿弥陀仏は名。今日阿弥陀如来の自在神力の名前とするならば号。合わして名号。名即号と云う。これが開山聖人の解釈である。因にあっては引受け、果に就いては受取る。こう工合に云う。どちらでも同じことであります。