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人間の愚かさ (3/19)

大概人間は喜ぶと云えば喜び、悲しむと云えば悲しむ。悲しむ時にはただ徒らに悲しみ、喜ぶ時にはただ徒らに喜ぶ。因にあっては徒らに悲しみ果にあっては徒らに喜ぶ。之を放蕩三昧という。因にあっても亦喜びを忘れず、果にあっても悲しみを忘れず。因と果と一貫して変らない。因果一如である。これは如来の方の生活である。人間は忽ちにして悲しみ忽ちにして怒る。悲しんで喜びを忘れ、楽しんで憂いを忘れる。これが人間の愚かさであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

いま開山聖人は第二十の願に果遂の誓ということを初めて仰しゃる。それは開山が本当に如来の御苦労を、あなたの九十年の生涯に、親様の兆載永劫の御苦労をつづめてそうして体験なされたのである。開山の御一生は九十年だけれども、その内容は法蔵菩薩の兆載永劫の彼の御苦労を短い九十年の間に摂めて、そうして味わいなされた。こういうのでありましょう。親様の御苦労のありたけを皆味わった。それが「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」。五劫兆載永劫の御苦労を一人に引受けて、そうして九十年の生涯に味わって体験して下された。