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煩悩具足の凡夫 (3/16)

俺が念仏するのだぞ、こう云ったら往生は全く定まらない。念仏して、それを、それを手段にして―念仏が是の踏み台と考えている、勿体ないことである。念仏を踏み台にしてそうして往生を願求する。念仏を踏み台にして二階の浄土へ往生しよう。念仏はただの因である。往生はただの果である。因はプラスとマイナスである。之を数字の式で表わせば、因−果=0何も無くなる。折角何十年の間働いた。やれやれと楽をしたらば病気してしまってコロッと死んでしまった。因−果=0。人間のすることは大体そういうもの。皆零、何もない。馬鹿らしいもの。六十年の間難儀苦労して来た、そうして財産を貯めて自分の子供が幸福になるようにと欲って来た。扨て、俺の目の黒い内に、早自分の息子が放蕩して忽ちにつかい果してしまった。何処へ行っても、因−果=0。ああつまらん。「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごと、たはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

大概の人は念仏のみぞまことにておわしますということを忘れている。煩悩具足の凡夫ということを忘れている。大概の人は煩悩具足の凡夫を云わないで、火宅無常の世界はという果ばかりを云う。因のことは知らないでいる。火宅無常の世界はよろずのことみなもてそらごとたわごとまことあることなし。火宅無常の世界の前に「煩悩具足の凡夫」ということがある。またまことあることなきという下に「念仏のみぞまことにておはします」ということがある。後先き切ってしまって真中ばかりで宙ぶらりん。a−b=0。そういう式だけ定められる。皆はや人間は平生は何か偉い、a−b=x。こう思っている。x=0と云わん。そういうようなもので何か体の健康なときは何時でも、a−b=x。aという中には無尽蔵である、従ってaというものは無限大であるが故にbを如何に大きくしても、=xというものは無限大に近いものが残っている。こういう工合に思って居った。けれどもちょっと何か事件が起って来るというと直に、a−b=0。平生の時は、a−b=x。けれどもそれが何か事件が起って来るというとx=0になる。a−b=x。x=0。x=0ということは何時でも平生の時にちゃんと病気にならんでもx=0なんだ。病気にならん時はxは何であるかということを知らない。ただ病気になると初めて零であるということになる。病気にならんでも何かちょっとしたことがあるというと、狂乱のようになる。