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先達者 (3/4)

二十九歳の時に法然上人の御名声は恐らくは既に夙くから御聞きになって居ったに違いない。しかしながら聖人は偏に楞厳横川の恵心僧都の遺徳を慕うた。恵心僧都の行跡を深く慕われた。この比叡山横川に隠れて、そうして静かに厭離穢土・欣求浄土、静かに念仏の行を修しておいでになりましたところの、床しい源信和尚の行跡を深く慕うて居られた。随って法然上人が比叡山から出て、そうして専修念仏の旗を掲げて、そうして廃立の狼烟を勇ましく挙げ、選択本願の叫びを勇ましく叫ばれたところの行き方に就いては必ずしも我が開山聖人は、それに心を引かれなかった違いない。寧ろ反抗を持って居られたに違いない。法然上人を知って居ったら早く法然上人の所へお行きになりそうである。けれどもそれに行かれなかったということは、法然上人に対して敬慕の心を持って居られたのでなく寧ろ反抗心を持って居られたのでないかと思うのであります。けれども証拠がないからそうだとは私は云えない。恵心僧都のようにすべきか法然上人のようにすべきか。こう云うと我が聖人の御心から云えば、恵心僧都の跡を慕うて行くべきであって、法然上人の御跡を慕うて行くべきものでない。こういうようにお考えになったのであろうということは、必ずしも私自身の独断であるとは思わぬのであります。
(真宗の眼目より、昨日の続き)

法然上人の御名前は既に十数年も前から聞いておいでになったに違いない。又聞こうと思わぬでも聞えるに違いない。そうでありましょう。何も専修念仏なんという狼烟を挙げないでも、自分の仏道というものは自分の仏道である。だからして静かに山の中に隠遁して、そうして一人念仏を修するということが、聖人の御本懐であったように思われる。けれども源信和尚は既にもはや往生せられて、もう現在そこにおいでにならぬのである。遺っているものは源信和尚の遺されたところの著述である有名なる『往生要集』があるばかりである。現在は人は居らない。源信和尚の念仏は天台の常行三昧の念仏で、常行三昧という一つの伝統がある。その常行三昧の念仏であったに違いない。ただそれを修するにしても御師匠様がない。御師匠様がなく本当の正しい道というものを得ることはできない。是は我々もそういうことに就いて深く考えなければならぬことであると思います。普通の学問でも立派な師匠というものに会わなければ本当に学問することはできないと思います。必ずしも心の学問だけではないと思います。自然科学というような学問であろうと、自分の心から尊信するところの学あり智あり、学と徳とを合わして備えている、その人格の高いところの学匠に会わなければ本当に学問は出来ないであろう。今日の学問界或は思想界にいろいろな問題の起って来るということは、その人を導くところの学徳兼備の学匠が居らないからである。徳のないところに本当の学問はない。徳がなくて学問だけ偉い人なんかあるものでない。そんなものはある道理がない。人格は下劣だけれども学問だけは抜群である。そんな学者なんてあろう道理がない。それは断じてない。本当に自然の学問というものに何処何処までも踏み入るところの偉大な学者というものは、やはり又高いところの人格者でなければならぬであろう。そうあるべき筈である。だからして学問というものは、やはり普通の学問でも師匠に帰命するというところから始まるのであろう。帰命のないところに学問はないと私は思う。況や大菩提の道というものは、そこに本当に道を体得して導いて呉れるところの先達者がないところに如何にして正しい修行が出来よう。即ち聖人の悩みというものはそこにあった。窃かに楞厳横川の遺徳を慕うて居らるるけれども、既に横川の先徳は入滅されてしまった。その遺風を伝えるところの立派な徳者は居らんのである。それで幸いにも聖人と親しく交りを結んで居ったところの御方で、法然上人の教を受けて居らるるところの真面目な求道者が居られた。それは外ではない、即ち聖覚法印である。久しい間法然上人の余りに鮮やかな、目に立つような行き方というものは、我が聖人の御性格に合わないのである。しかしながら聖覚法印の切なる導きに依って、遂に意を決して、二十九歳の時に法然上人の禅室を訪ねて、そうして初めて教を受けられたのであります。その会われた時の感銘というものは、長い間我が開山聖人が思い浮かべて居られたところの法然上人とは全く違っている御方であった。成程何か法然上人といえば、我れ此処にありというように名乗りを挙げている人だと思うとそんな人ではなかったのである。我が聖人が久しい間憧れて居ったところの過去の人であるところの恵心僧都、それと同じ人である。恵心僧都の儘が法然上人である、法然上人は本当に自分の後生の一大事ということに悩んで、そうして静かに出離生死の菩提の道を求めて、善導大師の一心専念の御文、その御文が横川の恵心僧都の『往生要集』の中に引用されて居った、一心専念弥陀名号、行住坐臥、不問時節久近、念念不捨者、是名正定之業。彼仏願故。その御文を拝読された。そこに落涙千行萬行であった。その時に直ちに雑行を捨てて正行に帰入されたのであった。法然上人は正しくその横川の先徳の教に依って善導大師に接せられた御方である。ただ直接に善導大師の教をうけるというのでなしに、やはり横川の先徳の跡を慕うて行かれた御方であった。又横川の恵心僧都と対蹠的な法然上人と久しく思うて居ったが、それが夢の中にも忘れないで脳裏に描いて居ったところの恵心僧都という御方とそっくりな法然上人。是が横川の恵心僧都でないか。自分が十数年の間昼も夜も憧れて居った恵心僧都が、眼の前に法然上人と名乗って、名前は変っているけれども自分が夢にも忘れることが出来なかったところの懐しい恵心僧都のままの姿が眼の前にお居でになった。そこに忽ちに簡単な十分か十五分の間のお話を聴いて、我が開山聖人は「雑行を棄てて本願に帰する」と、その古い手帖を引き出して『化身土巻』にそのことを記録されてあります。