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欲生心 (2/15)

その欲生心に依って往相廻向・還相廻向ということが成立つ、それに依って我が往生成佛ということが成立つ。それに依って我が本当に救われる欲生心のところに、我々の現生の救いが自覚せられ、未来成佛の自証がある。それは欲生心は本当に如来の救いの原理であるとともに、又救いを自証するところの原理である。そうしてそこに如来の真実を証明する。欲生心が如来の真実を証明する。否、あらゆる真実と方便と、正しきこと邪まなること、総べての正邪・真偽の判別をするところのその根本の原理は欲生我国というところにある。それが外道であるか本当の佛道を修して居るかということは、欲生我国が之を示す。邪道であるか正道であるかということを示すのは欲生我国である。
(真宗の眼目より、2/12の続き)

それ程至心・信楽・欲生我国ということは、如来の御慈悲の極まる所であり、又そこに我等の正しい佛の智慧を戴く。佛の智慧というものは、欲生我国というところに戴くのである。そこに我々は自分の行くべき道に就いて一片の惑いがない。そういう大切な原理であるところの欲生というものは何か。信楽と云えば如何にも純粋であるが、欲生と云うと何か自力臭いものが出て来る。こんなふうに昔から考えられて居ったに違いがない。だからして大概異義というものは、欲生我国というところから出て来る。欲生我国が分らぬから異義が出て来る。だからして古来欲生我国というものを恐れる。又欲生我国を嫌うて、何でも浄土真宗は信楽が大切であって欲生というものはそれは有っても無うてもよいものだ。無ければ一番よいのだけれども有るものだから仕方がない。仕方がないから何とか上手に扱うだけのこと、だから余り暴れさせないように上手に、馬でも乗り馴らして使う。こういうのが昔からの行き方じゃないかと私は思うのであります。