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お敬い (2/9)

お内仏の報恩講を当地では「お敬い」といいます。今日はこのお勤めが6軒であり、年のせいか、少々疲れています。

20年ほども前ならご親戚やご近所さんがお参りになっているお宅も多かったのですが、最近めっきりそういうところも少なくなりました。

お参りした6軒のうち2軒のご本尊がご木像で、これは先代住職から聞いたことですが、江戸時代に「お上」(これは管理人がそういうのであって、何を指すかはご想像の通り)に多大な入り用のあることがあって、特別な寄付をした家に限って木像を許可したことがあり、その時にご木像になさったとのことで、事実かどうかは定かではありません。

今でも「お上」が認めたご木像であれば、特別な懇志などなくても許可されるのではないかと思っているのですが、どうなのでしょう。詳しく尋ねたこともありません。

真宗では木像より絵像、絵像よりお名号といわれていますが、それはその通り。けれども、だからといって、その言葉そのままに、今あるご木像なりご絵像なりをお名号にかえる必要もないわけで、必要があるというなら「壇」そのものも不要だというところまで話が進むのではないかという気がします。

言葉にこめられた真意というか、その言葉を生む精神というか、そういうものを私たちはなかなか考えようとしないようです。まず言葉があって、その言葉に意味を付与するのが「教え」であると思っているかのように思える節もあります。・・・いや、これ以上は書かない方がよろしいようです。