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真実の功徳 (2/1)

「真実功徳相」は、二種の功徳あり。一つには、有漏の心より生じて法性に順ぜず。いわゆる凡夫人天の諸善・人天の果報、もしは因・もしは果、みなこれ顛倒す、みなこれ虚偽なり。このゆえに不実の功徳と名づく。二つには、菩薩の智慧・清浄の業より起こりて仏事を荘厳す。法性に依って清浄の相に入れり。この法顛倒せず、虚偽ならず、真実の功徳相と名づく。いかんが顛倒せざる、法性に依り二諦に順ずるがゆえに。いかんが虚偽ならざる、衆生を摂して畢竟浄に入るがゆえなり。
(教行信証「行巻」より)

真実功徳相とはほんとうに徳のあるものの意で、あらゆる人々が求めているところで、それが手に入らないために、迷い苦しみ、それが手に入ればすくわれる。これほど大きな問題はない。天親はこの問題にめざめ、これを如来とその浄土に求めたのである。
(教学研究所編「正信念仏偈」より)

以下、管理人の蛇足です。

人間というものは、自分の本当の姿がわからないものです。本来の自身がわからないものだから、自身の本当の姿とはかけ離れたものを好んで求めるのが人間というものだといえると思います。

たとえば、しあわせになりたいと願って、決してしあわせにはなれないものを求めている。求めたものが得られても、しあわせにはならない。「おかしい、なぜなんだ、こんなはずじゃない」と言う。

阿弥陀さまはご本願成就の仏さまである。それはその通りで、それでは誰も彼もが皆すくわれるのかといえば、それも一旦その通り。

けれどもそれでは、どこぞから異安心だと物言いがつくまでもなく、臨終現前というところへまでもいかないわけです。

「おかしい、なぜなんだ、こんなはずじゃない」と言うとき、必ず理由がある。そういうことを言わねばならなくなる理由があってそういうことを言っている。

自分の本当の、本来の姿に、まず気づかなければならない。そうして、本当に求めなければならないものを求めなければなりません。