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佛法のおたすけ (1/30)

浄土真宗では、佛さまは如来の本願力に依ってたすけたまう。だからして佛さまは別に何もなさらん。本願力というものを成就しておいでになる。本願力を成就して下されてあるからひとりにたすけられる。本願力南無阿弥陀佛を成就してあるからして、もうただ法爾自然にたすかる。自然法爾にたすかるべきところの法を成就して、そうしてたすけて下さる。ところが外の教はそうではなく、神さまが何か不思議の力を以てたすけて下さるのである、こういうふうに教えている。ところが佛教だけはそうでなくて本願というものがあって、本願というのは別に佛さまが一人一人をたすけてやるというのではないのでありまして、諸有るもののたすかるべきところの法を成就して、あらゆるものを平等にたすける。そうして佛はもう何もしないでよい、まあ寝ていなさい。
(真宗の眼目より)

そこでもう一つ云えば、法さえ成就すれば佛さまは何も用はない。佛さまは何もしないで、法さえ成就すれば、法で衆生はひとりたすかって行く。それが佛法であります。佛法のおたすけということは、たすけるところの法を成就されるのが、それが本願、その南無阿弥陀佛の法の力でたすかって行く。衆生は決して直接に佛さまがたすけるのでない。佛さまが一人一人をたすけなさるのでなくて、一切の者の進むべきところの法を成就して、そうしてあとはもうお前達がたすかろうとたすかるまいと、お前達の責任だ。たすかりたければこの法に頼(よ)れ、佛はただ見ていなさる。見ていなさるかいなさらんかそれは分らぬけれども兎に角仮に云えば法を成就して、さあ皆さんたすかりたければこの法に頼(よ)りなさい。私はもはや用事はない。この法門を残して置くからして、たすかりたければこの法に頼(よ)れ。是が佛法であります。外の教はそうでなくて、神さまが一人一人世話をなさる。佛法はそうでない。不可思議兆載永劫の、法蔵菩薩の本願修行というものに由って、南無阿弥陀佛という一つの法を成就なさる。法を成就してみれば佛さまは別に用事がない。御隠居されてよい。それは譬だけれどもまあ謂はそんなようなものである。