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本願念仏

弥陀仏本願念仏 邪見憍慢悪衆生
信楽受持甚以難 難中之難無過斯


この弥陀如来の本願念仏の法は、よこしまな心やたかぶりの心の悪衆生には、信ずることが甚だむずかしいといわれています。邪見憍慢の悪人だからむずかしいのではありません。如来が真実心をもって成就された信楽は、もと悪人成仏のためであります。それゆえにこそ、いささかのはからいがあっても、この信を受けとることができないのであります。私たちの邪見憍慢の心では、それが一番むずかしいので、大聖世尊はむずかしい中にもむずかしいこと、このむずかしいことにすぎたものはないと、特におさとしおき下さったのでありました。それだけに、無上にすぐれた信が、悪人のために成就されていることがわかるのであります。無上難信の法が凡夫に与えられていることを知らせようとして、仏はくれぐれも教えさとされたのであります。

邪見・・・「見」は見解・考えのことで、邪見はよこしまな考え、悪い見解をいう。人間性を損なうようなあらゆる不健康な行為のもとになるもの。邪見のない悪行はなく、悪事をおこすときは必ず邪見に基づいている。

憍慢・・・みずから昂ぶり、他を軽しめ、あなどること。「慢」は比較の心理で、劣等感なども卑下慢として、煩悩のうちに数えられる。

悪衆生・・・邪見と驕慢を立場として如来にそむいている人間のこと。広くは仏教に無関心な世間的悪人から、狭くは念仏しながらも念仏を自我愛の手段とするような人をもいう。

信楽受持・・・本願を信じ本願にかなうこと。

難中之難・・・難信をあらわす。難信だからといって、信ずることが不可能だというのではない。他力回向によってたまわった信が容易ならぬものであったということ。信をえて難信という。現にたまわった信が、ありうべからざる信なのである。

(教学研究所編「正信念仏偈」より)