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明無闇

摂取心光常照護 已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇


一度(ひとたび)信をおこしたならば、如来は常にその人を大悲の心の中(うち)におさめとって照らしまもられるのであります。
 一度(ひとたび)信をおこすとは、はじめなき古(むかし)からの迷いの根本の闇が破られたということであるけれど、この世に息づいているかぎり、私たちは自我の愛情やいかり憎しみの心が、雲や霧のように真実信心の上を常に覆うてやまないのであります。しかれども、一度(ひとたび)、信じたてまつった上からは、いつもわが手元の虚仮邪偽の姿が明らかに自覚せられて、仏のおたすけをすこしも疑うことはないのであります。それは太陽の光が、雲や霧に覆われて形はかくされても、その雲霧の下は明るくして、闇夜でないのにたとえることができるでしょう。

摂取の心光・・・阿弥陀仏の大慈悲心から放たれた光明に摂めとられ捨てられない。

無明・・・ものごとをありのままにみれず、道理にくらいこと。愚痴をその姿とするが、凡夫においてはそれは阿弥陀仏の本願力を疑って信じない心となってはたらくのである。あらゆる煩悩の根である。

貪愛・・・貪欲ともいい、名聞利養をむさぼり、愛欲に渇き執する心。

瞋憎・・・怒り腹だち憎むこと。瞋恚ともいう。この貪欲・瞋恚・愚痴を「三毒の煩悩」といい、あらゆる煩悩のもととする。

(教学研究所編「正信念仏偈」より)