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応信

如来所以興出世 唯説弥陀本願海
五濁悪時群生海 応信如来如実言


如来がこの濁悪邪見の世界に出現せられて、よろずの方面にわたって広く道をとき、苦悩の衆生をみちびかれたのも、この弥陀の誓願にもとづくのであると知られるのであります。実に釈迦如来はただ弥陀の本願の深くて広い徳をお説きになるために、世に出られたのでありました。時代も思想も悪く濁り、人は愛欲に苦しみ汚れ、社会も濁り、生活もとげとげしくなるばかりの、この濁悪の時に、私たちが生まれてきたことは悲しむべきことではあるけれども、また、如来の大法にあう善い宿縁があったことを喜び、すすんで如来の真実のみ言を信ずべきであります。

如来・・・如は真如・一如のこと。つまり一如よりみ名をもって衆生に来るものという意。ここでは、釈尊や三世の諸仏をさす。私たちに聞かれる仏という名それ自体が、広い意味で如来ということができる。

本願海・・・海にたとえて深くて底なく、広くして涯なき広大な本願の徳とはたらきをあらわす。

五濁悪時・・・末世において発生する避けがたい社会的・精神的・生理的な五つの汚れをいう。
(1)劫濁 時代の汚れ、天災や戦争などの社会悪のこと。
(2)見濁 邪悪な思想や見解がさかんになること。
(3)煩悩濁 利欲や名誉のために狂奔し、いろんな精神的悪徳が横行すること。
(4)衆生濁 有情濁ともいい、風紀が乱れ心身ともに衆生の資質が低下すること。
(5)命濁 寿濁ともいい、人間の精神年齢が短くなること。

群生海・・・多くの衆生がむらがって生きる世界。社会生活の中に埋没している衆生。ひとりだちできないで水の中で溺れるもの同志が、たがいにすがりついて沈んでゆくためにいきているような衆生。

如実の言・・・本願真実をそのごとくに説きたもうたことば。つづめれば南無阿弥陀仏の名。ひろくは『大経』の教説である。

(教学研究所編「正信念仏偈」より)