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本願名号

本願名号正定業 至心信楽願為因
成等覚証大涅槃 必至滅度願成就


名号(みな)をもって一切衆生をたすけようとの誓約(ちかい)は成就され、十方の諸仏はことごとく弥陀の名号(みな)をたたえて、それが凡夫の正しくすくわれる行業(わざ)であると証成(あかし)されたのであります。しかも、愚かな衆生の心性(こころばえ)では、それをうけたもつことがむずかしいので、さらに至心信楽の願を開いて、真実信心を成就して、これを真実の証にいたる因(たね)としてほどこされたのであります。衆生がたすかるに必要な一切の願行はことごとく弥陀の名号(みな)に成就しているということは、ただこの信ひとつをうるということにほかならないのであります。この信のほかに別の道なしと知ることが、如来の救済(すくい)の定まるしるしであります。されば、その信を得た位を正定聚または等正覚の位と名づけ、さらに大涅槃を証する身と定まるということは、その衆生のために誓われた必至滅度の願の成就によるのであります。

本願の名号・・・南無阿弥陀仏を本願の名号という。阿弥陀仏の本願において、我名を一切の行にすぐれて衆生の行とすることを諸仏に誓われ、かつ本願自身が自己を開示していることばである。『大経』に、「もし私が仏になるとき、十方世界のはかりなき仏がたが、ことごとくほめ讃えて、我が名を称えないならば、私は仏にならない」という誓いのことばであらわされている。

正定業・・・正しく決定する行業。つまりわれわれ凡夫に回向しようとして、浄土に往生する行業として正しく定められた行業。

至心信楽の願・・・阿弥陀仏の四十八願のうち、第十八の願をいう。その願には、純粋な信心(至心・信楽・欲生の三信で、これを本願の三信という)が誓われてある。その純粋な宗教心こそ、本願の名号を体として発起するものであり、したがって、真実の証果にたいして真因となる両面の意味をもつ。

等覚・・・等正覚ともいう。覚は仏のさとりのこと。その仏のさとりに等しい位に到った菩薩をいう。

大涅槃・・・迷いのもとである煩悩を断滅して、生死の苦海をこえ渡ること。大といわれるのは、そのさとりが個人的解脱の境地でなく、あらゆる衆生がみなすくわれる完全なさとりであることをあらわす。
(下線はhide-meによります。教学研究所編「正信念仏偈」のここの説明には『煩悩を断滅して』とあります。)

必至滅度の願・・・四十八願のうちの第十一の願をさす。必至滅度とはかならず滅度に至らしめるの意で、本願を信ずるものに、真実の証果を与えようと誓われてある願。願文には、「もし私が仏になるとき、私の国の人たちが、仏となるに定まった位(正定聚)に住し、かならず、滅度にいたることがなかったならば、私は仏にならない」といわれる。だから、この世で現身のまま仏となるのでもなく、たんに死んでから成仏するのでもない。大涅槃にいたる確信を現在の身にうるのである。それを現生不退とか平生業成といわれる。

(以上、教学研究所編「正信念仏偈」による)