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重誓

五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方

菩薩は智慧もなく力もないともがらを、いかなるたよりをもって、わが浄土に導こうかと、深いご思案をつづけられること、五劫の長きに及びました。思案はついにその根本に到りついて、大海の底の宝をひらうように、玉のごとき四十八の誓願を選びとられたのであります。その中でも、「われはたもちやすく称えやすい名号をもって、衆生をたすけよう」とのご思案こそ、諸仏にもすぐれて、妙なる本願でありました。
 これらのご思案が成就してから、在世自在王仏のみ前において、この選びぬいた本願をつぶさに説きのべられ、これをむすぶにあたって、「わが名と、その名によってほどこされる無上の功徳が、あまねく十方にゆきわたって聞こえるように、もし聞こえぬところでもあったら仏とはならない」と、空と地に満つるあらゆるものに、重ねて誓約せられたのであります。

五劫にこれを思惟し・・・「劫」は長時、きわめて長い時間のこと。四十里四方の石を百年目ごとに一度ずつ薄い衣で払拭し、ついにその石が磨滅しつくしても劫はつきないとされ、このたとえを盤石劫という。時計ではかるような時間の概念ではなく、人間の思惟のつきた究極を時間の長さであらわす。「これを」とは、前の無上殊勝の願・希有の大弘誓をさす。「思惟」とは禅定(あるいは三昧ともいう)のことで、心を一ところにとどめて散り乱さぬことをいう。

摂受・・・摂取ともいう。悪きを捨てて、善きを選びとること。五劫の間思惟して、かぎりない諸仏の浄土の中より選びに選んで四十八願を洗練せられたことをいう。

重ねて誓う・・・『大経』によると、法蔵菩薩はこのような五劫のあいだ思惟して四十八願を立てられたが、あまりに広大な誓願ゆえに、重ねて偈頌をもって三誓をたて、その願の目的と願心の堅固なることを示された。これを「三誓偈」とも「重誓偈」ともいわれる。三誓とは、

(1)満願果 立てた四十八願の願をことごとく皆満足しようという誓い
(2)大施果 願をおこしたのは自身の安楽のためではなく、苦悩する衆生のために功徳の大施主となろうという誓い
(3)名聞果 大施主となるには、わが名声(名号)を聞信せしめて安心を与えようという誓い

である。四十八願の要点はこの三誓にあらわされるが、そのうちでももっとものかなめは第三誓につくされている。その意味をあらわすために、前に広く無上殊勝の願を出し、さらに「重ねてちかうらくは名声十方に聞こえん」といわれた。これは四十八願のうちでも、第十七願(諸仏称名願)・第十八願(至心信楽願)の二願の意にあたる。
(以上、教学研究所編「正信念仏偈」より)