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大弘誓

法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓


この如来がまだ仏となりましまさない昔の時、その名(みな)をば法蔵菩薩と申されました。生き死にの矛盾に苦しむ世の人びとの姿を見て、いかにしても、この人びとのために、すくいのてだてをなしとげようとの願をおこされたのでありました。そして、その願を明らかにして、正しく道をおさめるために、御師の世自在王仏のみもとに参られて、自分の志を申し上げて、教えを説いて下さるよう、心を空しくして請われました。
 御師の世自在王仏は、「その道は、汝みずからさとるべきぞ」と、一度は菩薩の願を退けられたが、法蔵は、「わが願(ねがい)なれど、わが思いを越えて、一切衆生の生死の苦の根本を抜きとりたい為なれば、世尊よ、願わくば十方にまします諸仏の浄土と、その衆生をすくいたもう行をば説きたまえ」と、切に請いもとめられたので、師の仏は、法蔵の願いがいかに深く広大なるかを知られました。そこで大いに激励して、「たとえば大海の底の宝を探るために、その水を汲みほそうとするのが汝の願である。しかし心をつくして求めて止まなければ、その願は必ずなしとげられるであろう」と、十方にまします諸もろの覚者(みほとけ)の国と、その国の衆生を済度したもうた行、およびその衆生の根機の善し悪しをつぶさに説いて聞かされました。
 菩薩は心ゆくまで仏の説法を聞き、さらに自ら二百一十億の諸仏の国を観察して、かの浄らかに美しい国を見ればみるほど、痛ましいのは、それを求める力もたよりもない生死汚濁のこの世の衆生であると、ますます大悲の願心が燃え上がるのでした。
 菩薩はさらに、諸仏の浄土のなかより、善きをえらびとり、悪しきをすてて、苦悩に沈む衆生を迎えとって、速やかに無上のさとりを開かせうる国をたてようとの無上殊勝の本願を打ちたてられました。そして、もしなしとげられなかったならば、われも永遠(とこしえ)に仏とはならないと、諸仏に超えて、またとない大きな弘(ひろ)い誓いを発(おこ)されたのであります。

法蔵菩薩因位時・・・今自分の明らかな信となって躍動している不可思議光仏の因位のときの名が、法蔵菩薩であらせられたという意味。「因位」というのは、菩薩が仏になるための行を修めている間の地位をいい、因位の修行を達成して得た仏の位を果位という。阿弥陀仏の因位が法蔵菩薩という一求道者として示されるのは、人間はたんなる生物ではなく、深い実存者であることを物語る。政治的とか経済的であることに先だって、道を求める、すなわち自分を問題にするところに、真に人間としての面目がある。したがって、因位とは仏がわれわれと同じ位におりてきて衆生となり、われわれの失っている実存のすべてを回復する道を明らかにするのである。そこに人間によって考え生みだされた絶対者とか神というものとは、違う意味がある。神は天下り的に人間に関係する異質的な他者であるが、仏はもと悩みをもって道を求める衆生(凡夫)と同体である。その凡夫が迷いを転ずれば仏である。その仏が衆生となり、衆生となることを通して仏が仏であることを証明するのが、因位のあらわす意味になる。
 なお「法蔵」とは、一切衆生を守ってその依りどころとなる意味で、その意義を失って個々の存在となって迷い悩んでいるものに、法蔵の意義を与えようというのが、菩薩としての名である。

世自在王仏・・・法蔵比丘を仏道にむかわしめた師。「世自在」とは世間に自在なること。つまり世の衆生を自在に救う慈悲と、世間のことを自在にしる智慧をその徳とするところから、この名がつけられた。「王」には自在と尊貴の二義がある。

諸仏・・・ふつうは阿弥陀仏以外のあらゆる仏を諸仏という。仏の法身は平等で差別はないが、仏がさとりを開かれる因縁はさまざまであって、固定したものではない。それで現在十方にそれぞれの願行を成就されて浄土を荘厳され、それぞれの道をもって衆生を教化されつつある諸仏ましますというのが、大乗仏教の深い世界観である。阿弥陀仏との関係については並列的に考えられやすいが、阿弥陀の三字が、光明無量・寿命無量の意義にとれば諸仏の所証と同じであるが、それをすみやかに凡夫に与えようという誓願によって、諸仏と区別せられるのである。

浄土因・・・清浄なる国土の義で、諸仏の国土の通称である。穢土にたいする。穢とは虚偽に裏うちされた人間の自己関心をいう。浄とはそういう人間の自己固執が一点もない真実ということ。自己関心をまた自我愛・我執という。だから、我執を原理としてなりたっている社会(娑婆世界ともいう)が穢土、それにたいして、自己関心が転ぜられ浄化せられた世界が浄土である。穢土は人間の世界、浄土は本来へ帰った覚者、仏が衆生を教化される世界である。
 「因」は、それがなければそのものがなりたたないような根本条件をいう。諸仏の浄土ができあがっているもと、つまり諸仏がその浄土を建立されるについて修したもうた因行のことになる。法蔵菩薩によってえらびとられた浄土は阿弥陀仏の国土、極楽浄土である。法蔵菩薩は現在十方の諸仏浄土の成立している因行をみて、わが浄土を建立すべき因行(本願真実)をえらびきめ、またその浄土へ生まれるべき行法(名号)をえらびとられたといわれている。これを選択本願の行という。

国土人天の善悪・・・「国土」とはここでは浄土の荘厳のありさまをいう。「人天」とはその浄土に生まれるにいたった人・天のこと。人天は善の境涯に与えられてくる果報をいう。「善悪」とは善妙麁悪のことで、麁悪を選び捨てて善妙なるものを選びとること。世自在王仏の説法によって、法蔵菩薩は諸仏国土の優劣や、その中にすむ人天の善悪を見、わが浄土の荘厳およびそこへ生まれるべき人びとの果徳を円満ならしめるように選びとられた。

覩見・・・人間の分別によらず、仏の加威力によって、まざまざとそのものがあきらかに見えてくること。

無上殊勝の願・・・諸仏浄土の因の願にはみられない、この上なく殊にすぐれた願い。これは『大経』に説かれた四十八願をさす。

希有の大弘誓・・・「希有」はまれな、ありがたいという意。「大弘誓」の「大」は、いかなる人間の努力をもってしてもかなわない、人間にはありえない意味をあらわす。

超発・・・他の仏や菩薩に超えすぐれ純なる利他の誓願をおこすこと。

(以上、教学研究所編「正信念仏偈」より)